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景浦由美子さんがムーブメント・メディスンに出会ったきっかけとは?

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ムーブメント・メディスンを主催されている景浦由美子さん。

景浦さんは数年前に藤野の里山長屋に引っ越してこられたそう。

 

もともとは大手企業で働いていた彼女が、里山で自由でのんびりとした暮らしへと変化したのには何か大きなきっかけがあったのでしょうか。

 

自然体でいて、凛とした美しさと強さ、穏やかな優しさを感じさせる景浦さん。そんな彼女にも、バーンアウトし体調を崩してしまった経験がありました。そのときに彼女を救ったのが、からだの声を聴くことで授かった智慧”ムーブメント・メディスン”でした。


働いていた当時、過労と疲労が重なり、深夜に倒れて救急車で運ばれたそうです。その後落ち着いてから診察を受けた心療内科で、気持ちを上げてくれる薬と、痛み止めのお薬を処方されました。

 

お薬を飲んでみると、思考がどんどん止まらないようになってしまい、何か1つを考え出すと、あれとこれ、それはどうなっている?と通常の3,4倍くらい思考が過剰に働くように。また、痛みを抑える薬は、からだからの「痛いよ」という声を聞こえなくさせるものともいえます。

 

「すべての薬が悪いわけではありませんが、そのときのわたしのからだにとって、思考が過剰に働きすぎてしまったり、痛みを抑えるためのお薬は、こころとからだのアンバランスを引き起こす一因になったと感じています。」と景浦さん。

 

薬を飲むことはしばらく控えながらも働いていましたが、また忙しくなってきた時に、過労により自律神経のバランスを崩してしまい、ある晩、交感神経と副交感神経が2時間ごとにスイッチで切り替わるようになってしまったそう。

 

そんな極限の状態にある自分のからだを感じて、いままでいかにからだの声を思考で押さえつけて無理やり頑張ってしまっていたのか、からだの声をきくことの重要さを改めてひしひしと感じることとなったそうです。

 

そんな景浦さんは2015年に会社を辞めるのと同時に、東京で始まったばかりだったムーブメント・メディスンのクラスに参加。運動は好きでしたが、ダンスは嫌いだったそうです。でもムーブメント・メディスンは、ただ身体をリズムに合わせて動かすだけではない、何か気になる深みのようなものがありました。実際にやってみると、今までに経験したことのない感覚になって、「私の体に何が起こったんだろう??」と感じ、そして「何が起こったのかを知るためには、もう一度やらねばならない」と、クラスに通い続けることになったそうです。

 

そうして、ムーブメント・メディスンを通じて、自分の身体や感情を探求していく中、何故そのようなことが起こるのかをもっともっと探求したいという思いが募り、これはもう根源である、イギリスの「スクールオブムーブメント・メディスン」に行くしかないと思いたったそうです。そのスクールのプログラムで学んだことは、身体と通して自分と向き合うということでした。

そうして、ムーブメント・メディスンの探究、そしてかつて自分がそうであったように、このメソッドを求めている方に伝えたいという想いで現在に至ります。

参考リンク__

『School of Movement Medicine ムーブメント・メディスン イギリス本校』

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ムーブメント・メディスンを生活に取り入れるということ。

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景浦由美子さんに、ムーブメントメディスンを生活に取り入れることで何が変わるのか?景浦さんの実体験からヒントを探ってみました。インタビュー形式でお届けいたします。

ーー景浦さんはムーブメント・メディスンを実践していますが、例えばヨガ等他にも色々とメソッドがあるなかで、なぜムーブメント・メディスンだったのですか?

当時、私が会社員だった時に、(会社に所属していれば当たり前なのですが)会社の意向、つまり会社の型に自分を無理にはめていたことで体を壊していきました。

薬やその他のメソッドも試したのですが、一番の薬はその染みついてしまった型を一度壊し、自分というものをもう一度立て直すということでした。

ムーブメント・メディスンの”全てがYES”という考え方のもと、自由に体が動くことを赦すということ、つまり自分を何かのメソッドの型にはめるのではなく、自分の思うままに任せることが必要だったのです。それは、自分が自分自身を所有しているという、当たり前のことを思い出すことでした。

”私”にフォーカスして、本当の”私”を探求する道、それがムーブメント・メディスンなのだと思います。

 

 

ーームーブメント・メディスンは具体的にどんな内容なのですか?

 

まず、ムーブメント・メディスンの概要をお伝えしますと、

「ムーブメント・メディスン」は「体の動き」が「メディスン(薬)」であるという考え方です。

ムーブメント・メディスンは、イギリス人のスザナ&ヤコブ・ダーリングカン夫妻が2006年に生み出した新しいボディワーク、型のない踊りです。踊りというよりも、型がなく、体の自然な動きをしていくものです。

 

ムーブメント・メディスンにはいろいろなメソッドがあり、一人で動くものも、関係性で動いていくものがあります。私とあなた、私とコミュニティ、私と目に見えない存在たち、私と大いなるもの、との関係性を踊ります。現在、過去、未来、森羅万象とつながっていく感覚になるものもあります。

 

私が一番最初にクラスを受けたときのことは今でも覚えていますが、いままでに得たことがない感覚が起こりました。

 

そのときは言葉になっていませんでしたが、いま思えば「体を自由に動かす」という一見シンプルなことだったのだと思います。

いきなり、自由に動いてもいいよ、と言われてもなかなかできることではありません。普段の生活や運動では、例えば「ラケットを握り」「そしてボールを打つ」など、まず上手くいく型があって、その動きをトレースするように、頭が司令を出して体を動かしています。

しかしムーブメント・メディスンの場合では、意図して動かすのではない動かし方を、体に許可できる、ということがこのメソッドの重要なポイントなのです。

ムーブメント・メディスンによって意図しない体の動かし方を体にさせるままにするというのは、普段はしない(もしくは出来ない)ことなので、体が自由なったように感じます。

 

しかもどんな変な動きでも誰も何も言わない。というか、みんなものびのび動いてて、一層自由に感じる。動いている間、幸福感が増して自分自身が自由に開いていく感覚を感じました。

 

その時はそこまで考えていませんでしたが、通常の身体の命令系統は、「頭→心→体」または、「頭→心→頭→体」ですが、逆の感じでした。

体が動くことで、「体→心→体→頭」に変わり、いつもと違うことが起きたのではないかと思います。

「やったー!」と万歳をしながら怒ることが出来ない、ということは心理学の分野でよく言われますが、これも体が主体で発信される指示系統の現象だと思います。

 

 

ーーどんな方にムーブメント・メディスン クラスを受けて欲しいですか?

 

首が痛い、目がしょぼしょぼする、なんだかからだに重みを感じる…

どのようなささいなシグナルも、すべてはからだからの大切なメッセージです。

 

こんなことくらい、とほおっておいたり、気づかないふりをしてそのまま走り続けることもできるし、薬を飲んで辛い症状を抑えることもできます。思考が優位になってしまった現代社会では、そのようにしている人がほとんどなのかも知れません。

 

メッセージを無視されても、からだは健気に頑張ってくれますが、休んで回復する時間をとらずに頑張り続けると、いつかは限界が来てしまいます。そうしているうちに、さらに大きな病気やケガなどもっと大きなメッセージを運んでくることになってしまうかもしれません。

からだはわたしたちをけっして困らせたいと思っているわけではありません。生まれてから死ぬまでずっと一緒に過ごしてくれる、唯一無二の大切な存在。

 

そんなからだの声を聴いて、もっと自分のからだと仲良くなってみませんか?

 

自然豊かな藤野の地で行われるムーブメント・メディスン・リトリートが、からだの声を聴いて、あなたがより豊かで満たされた毎日を生きるための招待状であったら嬉しいなと思います。

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ムーブメント・メディスンを体験してみました。

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最近、自律神経が失調しがちで、寝つきも悪いなと感じていた筆者が、実際にムーブメントメディスンを体験してみました。

 

ここ数年、筆者は自律神経が失調気味。頭の中に、常に仕事のことがあって、寝つきも悪く、体調も芳しくないなと感じていて、鍼灸師や漢方の先生に相談したところ、どちら先生の見解も、運動が不足しているのでは?ということでした。

 

そんな折に、「自由に体を動かすことが薬になる」ムーブメント・メディスンという自分にとっては打ってつけのワークショップに参加してみませんか、というお話しをいただきました。

 

とはいえ40代の私は、踊る、ということとは縁のない人生を歩んできていて、人前で踊るということは、とても特別なことのように感じますし、ましてや自分が踊る、ということにはとても抵抗感がある人間です。

 

そんな私がムーブメント・メディスンを体験してみて感じたことは、一言で言うと、とても良かったということです。

 

ダンスに抵抗がある私が、どんな風に景浦さんのムーブメント・メディスンに導かれて心身ともにリトリートできたか、なかなか言語化しにくい感覚なのですが、思い起こしながらポイントをまとめてみました。

 

 

まず、”場”の力を感じました。

 

自由に動いてもいいし、誰も気にしていない、という環境を作ろうと思うと、一人でやろうと思っても初めてだとなかなかうまく行きません。

景浦さんのムーブメント・メディスン クラスには、彼女が導いてくれる自由な”場”が立ち現れました。

この”場”の力は、自分にとって、ムーブメント・メディスンに集中できた、重要なファクターの一つでした。

 

 

「どんな動きにもイエス」。

 

その自由な”場”が立ち現れるきっかけの一つに「どんな動きもイエス」というフレーズがあります。

 

先述したように自分は人前で踊る、ということにとても抵抗感がありますが、景浦さんのムーブメント・メディスン クラスでは、最初こそ何が始まるのだろう、と少し不安な気持ちはありましたが、景浦さんから動くきっかけとして「肩を動かしましょう」というように誘導してもらいつつ、程なくして「どんな動きもイエス」という声がかかってくるあたりから、自分の動きにフォーカス出来ていきました。

 

それは何というか、他人の(もしかしたら自分から自分自身に対しての)視線が気にならなくなり、ちょっとした瞑想状態に入るような感覚だったのだと回想します。

 

ムーブメント・メディスンの体験をして気づくことは、普段はいつも何かしらの雑音(ここでいう雑音というのは、雑多な不快音、または本意ではないことを強いてくる圧力のようなものです。)が聞こえていたのだな、ということでした。逆に言えば、自分にフォーカスし、雑音が聞こえない状態があるのだな、という気づきでもありました。

 

言い換えると、自分がすっかり埋め込まれてしまっているこの世界の、その外があるのだということに気づき、他の世界の可能性を感じること。そんな可能性を垣間見たような気がしたのでした。

 

 

まだ一回しか経験していないので、これで自律神経が正常に機能しだした、ということにはならないとは思います。でも、間違いなく何か恒常性を取り戻す兆しのようなものを感じています。

 

また、体を自由に動かすことで、メタ認知の視点から自分を見ることができるようになって、心も自由になっていくのだな、ということも感じました。

 

ありがとうございました。

ぜひまた参加させていただきたいと思います!

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